script day.log

大学生がなんとなく始めた、趣味やら生活のことを記録していく。

私の考える大学について

まずは現状

現在私は大学3年生であり、この時期となると希望する研究室を決めなくてはいけない。
もちろん、自分の興味のある分野に行きたいし、
出来る限り規模(内容、リソースなど)の大きい研究をしたい気持ちもある。
まず、自分の興味のある分野について考え直してみる。
今考えられるものとすると、機械学習FPGAかなと思っている。
ORというよりANDでしたい分野なので、ハード系の研究室に行くべきかと思っている。
もう一つの出来る限り規模の大きい研究をしたいと思った時に、
自分の行きたい分野の研究室がそれを可能とするか調べなければならない。
しかし、ここで問題が起こった。、研究室について(主に論文と科研費など)調べていくと、
段々思うところが出てきたため、思いを綴っているわけである。

論文や研究費について

調査をしているうちに、ここ数年で論文を書いていない教授が居るという事が
わかってきた。また、企業とコラボしてます、委員会に参加してますなどの情報を
表に出して、自分が最近こういう論文を書きましたという情報が表に出ていない
研究室もあった。科研費についても調べて見たのだが、多くの研究室が現在継続中の
研究が無い状態だった。そういう研究室はどうやって研究費用を回収しているのだろうか?
年々、国から貰える研究費は減っているわけだから、
どうにかして研究費は集めなければならない。
科研費でなければ、それを補うほどの産学連携などを行っているのだろうか?
または国家プロジェクトよりお金をもらっているのだろうか?
大半がそうではないであろう。
学生は4年間大学に通うために、国立大学ならば約250万円はかかる。
それだけの金額を大学に対して、納めているわけだから、それに相当するリターンを
大学は返すべきだと思う。研究室には学費分ぐらいの研究は求めたいと思う。
また、教授に産学連携によって研究費を回収するのはどう思うか聞いた時、
弊大学の教授は産学連携はあまり好みでは無いので行わないと言っていた。
その教授が在籍する研究室では科研費がほとんど与えられていなかったわけだが、
自分の思想を優先するなら、研究費を稼いできてからにしてもらいたい。

弊大学の教授には筑波大学の落合陽一先生の考え方を少しは参考にしてもらいたい。
"「自由と金と責任を与える」というのがコツ。学費以上の研究費が
与えられないラボには絶対にしない、つまり、自分がペイしている金額よりも
リターンが少なくならないようにと決めている。40人いたら最低3000万円の予算は必要だし、
1人あたり100万円以上ラボから与えないと、ペイしていないと思っている"
www.houdoukyoku.jp

金に関する考え方は非常に同意できるのだが、自由と責任に関しては少しどうかと思う。
確かに落合研に入ろうとするレベルなら自由と責任を与えても、結果を残せるだろう。
しかし、弊大学の学生は自由と責任の意味を履き違えている学生が多数居るので、
自由と金と責任を与える事に臆病になるのも頷ける。
お金と自由を渡されて、責任を持って(感じて)行動できる学生は少ないだろう。

では、どうしていくべきなのか

まず、教授には論文を書くということと、科研費や産学連携によって研究規模を上げる。
研究規模を上げる方法は問わない。学内ベンチャーを教授が行うのも良いと思う。
企業とコラボして何かをやるなら、大学機関のままである必要があるのかが不明?なのだが…
学内ベンチャーというシステムではダメだったのであろうか。
研究内容も企業が行うべきことと、大学で行うべきことは見分けるべきだと思う。
研究が盛んに行われていれば、研究室に入りたいと思う学生が増え、
学生が増えることで、レベルが上がっていくだろう。
また、これが出来ない教授にはリストラといったシステムを用意することが必要に感じた。

学生は享受するだけではいけない。
教授が改善しようと行うならば、こちらもそれに対して、
それ相応のリターンをしなければならない。
自分達の大学4年間という有限な時間の使い方をしっかりと考えるべきだろう。
大学は高等学習機関であるわけだから、別に大学に行く義務は発生しない。
しかし、現状はほぼ義務状態になりつつある。
国の政策(大学の学費を免除)の方針を見ると、さらに義務に近いものになりつつある。
わざわざ大学に来て、4年間遊ぶ必要はなく、遊びたいならyoutuberにでもなれば良いのである。
しかし、現状は遊びに来る学生がいるわけだから、現在の弊大学は幼稚園になっている。
私個人的には大学には学習を行う場であって欲しい。
ここでいう学習とは勉強と研究をあわせた意味であり、勉強とは先人が築いたものを学ぶことで、
研究とは先人になることだと考えている。

最後に

今言ったところで、変わらないのは分かっているのだが、
私は大学が早く高等学習機関に戻ることを切に願っている。